第六話:鬼門街

 

 

 四月一七日、午前八時。

 

 元ボクシング部の部室を改造された部室、オカルト研究部。その長テーブルの席につく、先ほど紹介してもらったマジョ子先輩。

海外のミュージシャンがプリントされた(言っても解らない人が多そうな)Tシャツに、スカートと幼い容姿と幼児体型でありながら、その派手さを粋に着こなしていた。

 そのマジョ子さんの対面に美殊が座る。美殊の隣に空いてある席には、真神誠。つまりおれ。

 そして、上座っていうのか? ボードをバックにしたこの部室の部長たる巳堂霊児さんが座っている。おれは所在、部室の中を見渡していた。瞬きして、空気の匂いを嗅ぐ。何処か外との隔たりに、違和感を持つ。

 

「どうした? マコっちゃん」

 

霊児さんの格好は赤レザージャケットを素肌に着込み、黒のレザーパンツと派手な服装。だが、その雰囲気にもかかわらず不思議に声を聞いたら、第一印象との差異を感じる。外見も美丈夫然だが、中身もそれ相応と感じさせる。それでいて、威圧感を感じさせない。なんと言えば良いのか――――緊張とは違う、身の引き締まる心地良さを感じさせる人だ。

 

「ここの結界が珍しいか?」

 

 この・・・・・・独特な空気が――――自分の家にもある隔たりのような空気が結界であると、説明を受けて納得した。

 

「あっ? はい。何て言うか・・・・・・静かで・・・・・・でも、落ち着きます」そう、外では陸上部などの体育会系の声や音が響いてもおかしくないが、それらの喧騒が遠くで聞こえるだけ。

 

自分の家の結界も同じらしい。しかし、この部室は機密を漏らさないための防音と、周囲から目立たないようにしている程度。おれの家のような無菌室であり堅牢、外にあるもの全てを敵視する空間ではないようだ。この部室は空気が軽い。

 

「結界は人の性格や想いが出る。ここの結界はマジョ子が張ったものだ。まぁ、魔術の実験室とかも兼用しているから、強硬な結界の方に入るが、自分の家と比べるなよ? マコっちゃんたちの家に張られている結界ははっきり言って、難攻不落の城砦並だ」

 

 そう言いながら、頬杖しておれを見る。鋭く、静かな眼。鞘から抜き放たれた刀のような眼差しに変わる。

 

「とりあえず、事情を説明する」

 

 そうして、この街――――鬼門街の事。現在、この街の原状や事件を掻い摘んで巳堂さん――――名字で呼んだら、名前で呼べと言われた――――が、説明してくれた。霊児さんが〈聖堂〉と呼ばれる機関に所属し、その中でも吸血鬼狩り機関の人間であることと、マジョ子さん――――マジョ子さんと呼んだら、思いっきり睨まれた――――〈連盟〉に所属していること。そして、美殊が真神家の当主代理で〈退魔師〉であることに驚いたら、冷たい目で見下された。

 踏んだり蹴ったりの状況下で、何とか説明を最後まで拝聴した。

拷問にも耐えられそうなくらい、マジョ子さんと美殊の冷たい睨みは最後まで続いた。

 

「まぁ、オレが説明できるのはここまで。〈退魔師〉っていうのは実は、俺やマジョ子も漠然とした容(カタチ)でしか知らない。〈退魔師〉の質問はミコっちゃんに訊いてくれ。自分の家の事だから知りたいだろ?」

 

〈退魔師〉――――おれはその単語に過敏に反応した。視線で美殊に問う。

 おれの視線を真正面から見たまま、美殊は苦い顔付きになった。しかし、〈退魔師〉とは?

霊児さんとマジョ子さんの違いは何なのかを説明して欲しかった。

 

「美殊?」

 

 問い掛けると美殊は、ゆっくりと深呼吸をした。長い説明になると断られたが頷き、霊児さんもマジョ子さんも拝聴する姿勢を取る。

 

「まず、退魔師と魔術師の違いは大きいです。神秘を紐解くことを業とする魔術師に対し、退魔師は神秘を持って闘うことを『業』とする者を指します。平たく言えば研究者と戦士の差すらあります」

 

 言葉をいったん区切り、見渡す。ここまでの説明におれは先を促すように頷く。

 

「しかし、ここ鬼門街は時を超え、古代の人々が神と呼んだものすら現れる『門』があります。現れるのは神、悪魔、妖怪の化け物。だから磨いたんです。『対する』ために業を。そうした業を練成、興したのが真神家。そこから分家して七家の退魔師が派生したのが八神退魔家(はちしんたいまけ)・・・・・・失礼しました。大神(おおがみ)は滅んでいました。ですから、私たちの家を入れて七神退魔家(しちしんたいまけ)。真神、夜神(やがみ)陽神(ひかみ)神那(かんな)神城(しんじょう)神島(こうじま)神宮院(じんぐういん)

 

「うわぁー。全部、財団と財閥じゃねぇか?しかも、全部ガートス家と敵対関係の連中かよ?」

 

 マジョ子さんは苦虫を噛むような口調に、美殊は苦笑して肩を竦めた。真神以外ですと付け足した。確かに何故、ウチだけは庶民なのだろうと考えようとしたが、美殊は続ける。

 

「真神を抜いた六家は財力と、資金を持って日本の霊脈をほぼ抑えていますから、この土地にもう興味を失っています」ですがと、力を込めて美殊は言う。

 

「霊脈は金脈以上の価値があります。魔術を探求し、突き詰めたい魔術師にとって、霊脈から魔力を汲み取っての大きな魔術式などに必要不可欠です。そして、この「街」はその霊脈が莫大で、この地球が生み出した伝説や化生(けしょう)の集う土地ともいえます。そのため、他の魔術師と利害一致すれば、一時的に場所を貸し与えたりします。真神にとって重要なのは、化生の消去ですから、多数の魔術師との交流もあります」

 

「ガートス家が今のところ筆頭だろうな。アタシらはこの土地の霊脈から出現する魑魅魍魎どもを相手に、実戦訓練所としている」

 

 物凄く物騒な発言をするマジョ子さんは勇気を出して無視する。

 

「幾万といる神、悪魔、天使たちもただの『力』で『現象』。ですが、『力』事態に善悪が無いため、扱う者でどちらにでも転びます。扱う者が非道なら狩る。それが真神家退魔師です。百鬼夜行が行き交う黄紋町――――この鬼門街は八〇〇年間、裏で真神家が暗闘してきました」

 

 ウチに八〇〇年もの歴史があるなんてビックリだ。庶民の中の庶民が、どうしてだろうか? 美殊の言葉を借りると『金脈よりも価値がある』この土地を奪われないのだろう?

 

「どうしてだ? さっきの財閥や財団連中はこの土地を買わないんだ?」

 

だって、土地を買うくらいワケがない。おれの疑問に、美殊は霊児さんとマジョ子さんに視線を向ける。

 

「簡単です。表舞台はマジョ子さんのガートス家がほとんどを握っています。その性もあってこの土地を合法的には、手に入りません。では、非合法ならというのも、無理です。巳堂さんもマジョ子さんもそうですが、聖堂七騎士である「神槍(しんそう)」の巻士(まきし)令雄(れお)。京香さんがいない間は、私たちの保護者をしてくれている駿(しゅん)一郎(いちろう)さんにアヤメさん。その人達と闘うのは、自殺よりも確実です」

 

 美殊は肩を竦めて言うが、日常の裏は洒落にならない世界らしい。何か、近所に住んでいる人たちも異常な世界の住人に列挙されていた。

 

「まぁ〈聖堂〉もこの土地を欲しがりはしても、力尽くで奪うことは無い。京香さんは「女王」って恐れられている・・・・・・オレはゼッテェー敵になりたくないね。外世界の神(アウター・ザ・ゴット)を倒した集団《神殺し(スレイヤー)》に喧嘩を売れるかよ。「女王」、「神殺しの射手」、「天狼の巫女」の真神京香に、さっき出てきた「不死身鳥(ガルーダ)」如月アヤメ、「詩天使(サンダルフォン)」如月駿一郎の三人がこの鬼門街で住んでいるんだ。恐ろしくて近付かないね。バカ以外は。まぁ、この街は時折、そのバカが現れる」

 

・・・・・・ファッションデザイナー兼ブティック経営者の母親と、家族ぐるみの付き合いがある喫茶店とクリニック経営者の名前が、えらい表現と何だがカッコ良いあだ名付きで出てきた。

 

「〈連盟〉は彼女のことを「白銀の獅子」と呼ぶ。悪魔から知識を得る魔女が、可愛く見えてしまうほどの逸話がある。引退する前、魔術書新訳の三割は彼女が訳した。まったく、噂に尾ひれ付くのが当たり前だっつぅーのに、噂以上がってのが空恐ろしいぜ? 魔術戦も魔術学もトップクラスだ。いや、もうこれは次元自体が違う」

 

 霊児さんとマジョ子さんは言う。淡々と。でも、何処か畏敬を込めてのコメントだった。

 

「おれの母親は何者ですか!」

 

 とうとう、声を荒げて問う。

鉄砲玉みたいに家に帰らない、おかしな母親かもしれない。けど、何だかんだで自分の母親だから息子の義務で弁護する。義理は無い。しかし、義務を放棄した時の折檻ほど、怖いものは無い。ランクとしては美殊の精神的なイジメよりも。

 

「化け物」

 

 あっさり肯定した上にハモる。ある意味、おれが日頃から感じていた単語だったために、ショックよりも脱力感が襲った。性格は自分の母親に言うのも何だが、最悪。ただし、その反比例か知らないが、残りの全ては驚くほど、口惜しいほど、万能で有能だ。

正月だったか、おせち料理を作った。それはもう、悔しいが美味いの一言だった。美殊は、その一品一品を食するたびに歯噛みしていたのを覚えている。それを見て「まぁ、ガンバんな」と、クールに笑っていた。

 バリバリのキャリアウーマンにして、和洋中の料理は何でも御座れと主婦能力も、美殊に遅れを取ったことすらない。化け物というのは己が母を指すと、物心が付いてからのおれにとって至極当然でもあったが、それはおれの織る範囲内のみ。

 ただし、彼女達の納得はおれの常識外だ。

 常識外の霊児さんはそのまま、指折り数えながら続ける。そこから紡ぐセリフは既におれの知らない世界である。

 

「戦闘を嗜好し、強者を信仰とする最古の第一世代吸血鬼達が作り上げた「クラブ」の連中は、「陛下」って呼んでいる。その会員らは敬意と恐怖をもって過去、一人として京香さんの許可無しで日本に入国した者はいない。それだけ畏敬の念がある。それと獣人(ライカン)の〈トライブ〉は、血眼になって京香さんを殺そうとしている。噂だけど、二〇人ばかり返り討ちにしたらしいが、今までの逸話が逸話だ。きっと一桁足りないだろうな」

 

 まだ、おれに驚けと?

 

「〈ラボ〉と、呼ばれるイカれた腐れ外道魔術師の集団を、研究上ごと爆破したって噂があるな。あと〈ワークス〉って集団も一人残らず徹底的に・・・・・・いや、止めた。荒唐無稽な作り話と思われっからよ〜大体無理だと思うし。山事消し去るなんて・・・・・・」

 

 首を振って自嘲的な口調のマジョ子さん。でも既に、おれとしては如何すれば良いんですか? おれは今どんな顔をすればいいかワカリマセンヨ・・・・・・・・・?

 

「とにかく京香さんはそれだけ裏世界の、とくに〈暴力世界〉では頂上に立つ人です。〈クラブ〉の吸血騎士、〈トライブ〉の怒る飢え(アングリー・ハングリー)、〈墓場(セメタリー)〉の反対(アンチ・)命題(テーゼ)という暴力の最高峰が敬意し、憧憬し、避けて通る人物なんです」

 

 それらを纏めるように言う美殊は、我等が母の顔を思い出したのか、深々と溜息を吐く。

オーケーオーケー。つまりはバケモノでいいのだろう? 色々な経歴とかは忘れようじゃないか。じゃなきゃ、話が進みそうに無い上に脳味噌の処理が間に合わない。

 

「話がそれましたね。つまり、退魔師という生業は人外を相手取り、邪道、外法、魔生の術を持つ血族です。そして私は三二代目の当主、京香さんの代理でもあります」

 

さらりと言う美殊におれは疑問を持つ。そして、とてもとてもシンプルな質問が喉を駆け上がる。

 

「何で美殊なんだ? 美殊が継ぐ理由があるのか?」そう、おれでも良かったようなもの。何故、義妹美殊なのだろう? 母親の考えていることなどおれには解りはしない。

 

「二つあります。まず兄さんに施された封印が理由でしょう。安定の無さや、制御出来ないものを力とは言えません。それは兄さんが良く解ることでしょう」

 

 見下されたような意見に萎縮する。だが、なるほど。合点した。おれは自分の感情をコントロールすることに関しては全く、出来ない。自慢じゃないが、すぐに手が出る足が出る性格だ。そりゃぁあ〜、自覚がありますとも。

 五年前に小学六年生時、美殊を『捨てられっ子』と虐められていたことに気付いて、おれは美殊の同学年連中を殴り倒し、その上についでのようにイジメに参加したおれの同級生を一掃、さらにその主犯の中学生の学校まで押しかけ、入院させた。

止めに入った教師連中すらも、ギプスを付ける大怪我を負わせたのを覚えている。今思えば………まだ、物足りない。くそ! オフクロが止めさえしなければな。実の息子にパイルドライバーを仕掛けやがって!

 

「もう一つは簡単です。誠だから退魔師にさせたくは無かったからです」

 

そう、おれを見ながら。まるで自分はおれの身代わりのような、代品できる程度の価値しかないと断言するようなセリフだった。頭が一気に氷点下になる。おれだから? 退魔師にさせたくなかった? 〈実の息子〉だからって意味か? 家族に身内に・・・・・・・・・甘いってこう言う意味なのか? 血の繋がりが全てなのか? 代品が出来ないからって意味なのか?

 

「だろうな? もしもマコっちゃんが真神当主って襲名したら、一大騒動だな」

 

 おれの思案を置き去りに、霊児さんが呟いた。

 

「話に聞いたが、獣化現象(ゾアントロピー)・・・・・・そのマコっちゃんが真神当主なら最悪だ。最低でも〈聖堂〉の悪魔払い機関が黙っちゃいない。「女教皇」と比肩し、匹敵する「女王」。生粋の聖堂連中にとって殺意すら覚える女王の息子が、悪魔に憑かれた者と知れたらあいつ等、大義名分ととして戦争を起こそうとするだろうよ・・・・・・……京香さん自身の〈神降ろし〉だけで、相当にもめたからな・・・・・・」

 

 憎々しく歯軋りする。生粋の聖堂連中とやらに何か恨みでもあるのか、唾棄する霊児さんに続いて、マジョ子さんも冷淡に公式を解く数学者のような眼差しで、おれに視線を向けた。

 

「でしょうね? それに〈連盟〉はもっと性質が悪いかもしれない。卑しくも〈知識欲〉が三度の飯より好きな連中の集まりが、〈連盟〉です。〈白銀の獅子〉がひた隠す息子と言うのも魅力的。さらに、稀有で貴重な性質を生まれ持っていたらって・・・・・・考えただけでこちらも乗り出すでしょうね・・・・・・それ以上に〈聖堂〉に狩られる対象に興味を、持たないこと自体が無い。〈聖堂〉が狩ろうとするものは、〈連盟〉にとってかなりのメリットのある実験材料ですから」

 

 ワカンネェよ? あんた等? おれが言いたいことの十分の一すら満たないことに納得するな。それよりもそんなそっち側の意見なんてどうでも良いんだよ。

 養女と実の息子を天秤にかけた結果が、今の情況なのか――――? おれの体質云々を含めて養女を引き取って、おれの監視役と保護者役として。

 

「待てよ・・・・・・」

 

三人が三人ともおれに視線を向ける。自分の喉から発したとは、思えないほど硬い響きだった。鉛を吐き出すように言う。

 

「美殊は全部、知っていておれの・・・・・・」

 

代わりに成ったのか、という続きも言わさず、「はい」と間髪入れずに返答し、無機質な顔のまま肯定する。しかし、眼差しには気高い光がある。それが、生きている意味だと言うように。

 

「全部知っていました」

 

 その全部とは何処から何処までなのか。おれの、封印が理由なのか?

それとも・・・・・・自分がおれの影武者ということも含めてなのか?

気高い瞳の正体はようとして読めない。どんなに美殊の顔を凝視しても、その表情は波一つない凪のような無表情で席を立つ。

 

「説明は以上なので、私はこれから街の探索に行きます」

 

「うん? 使い魔の探索じゃないのか」マジョ子の訝しげな問いに美殊は首を振る。

 

「昨日でばれてしまっています。それに頭の『切れる』〈敵〉のようです。白昼堂々と電車内で襲ってきましたから、その分大胆でキレた性格みたいですね。昨日の今日で私がノコノコと一人で歩いていたら、何らかのアクションをするでしょう」

 

 美殊の言い回しが面白かったのか、マジョ子さんはケタケタと物騒な笑みを向ける。

 

「でも、一人じゃ危なくないか?」

 

 答えるように自分の机にある、梵字と五行星が描かれた符札を一束掴んだ。

 

「昨日のお礼くらいしたいですから。とりあえず、友人との約束を果たしたら仕事に掛かります」

 

「まぁ、気を付けろや」

 

 マジョ子の言葉に、唇に笑みを作る。家では決して見せない、不敵な笑みのまま、部室を出ようとしていくのを、おれは慌てて追うように席を立つ。

 

「待てよ、マコト」

 

いきなり向かいに座るマジョ子さんが、ドスを利かせた声音で言う。この可愛い容姿でどうして、そんなギャングも裸足で逃げ出すようなドスを利かせられるのだろう?

 

「実はお前がここに来てもらったつぅーのは、アタシの興味でもあるんだわ? 理由は至極簡単だ。解剖させろとかじゃ無いから安心しろよ?」

 

 悪寒が脊髄を貫く。全身の細胞が震え、逃げろと十回叫んでいる。

しかし、淡く光る彼女の碧眼に射抜かれ、金縛りになってしまう。

 

「だから、ビビるなって?」

 

 ニィっと歯を見せて笑う魔女。その笑みがとても邪悪な顔に見えた。

そして懐から糸を巻きつかせた五円玉を振り始める。何? もしかして催眠――――「つぅー訳で・・・・・・ワン、ツー、スリー・・・・・・」――――術なのかよ?

 急速に瞼が磁石のようにくっ付き――――身体が脱力し――――意識の手綱は飛んでしまう。暗くなる視界の寸前、マジョ子さんの笑みは魔女のような哄みだった。

 落ちていくのか浮上するのか、解らない。

解らないが、何時もの夢の風景に辿り着くと確信があった。そして・・・・・・目を開ける。

 闇で彩られた漆黒の間に、鉄格子が聳え立ち、鎖が乱雑さと幾何学的に吊るされている縛鎖(ばくさ)の牢獄。

 おれと遠くにいる『俺』――――のような悪魔と言って良いのだろうか?

 遠目だが、今ならおれを隔てる檻と鎖の奥に鎮座するものを見通せた。

 身長は一九八センチ。ボクサーのような細身であるが、体重は全身の筋肉の付き方を考慮して、八九キロジャスト。原始的な闘争にとって奇跡とも言える体型。

 怒髪と共に逆立つ角を持ち、甲殻のような黒金を鎧う。顔の肌は病的に白く、血のように真紅で頬を裂いたような唇の隙間に、ギラギラ光る鮫のような歯。身体は痩躯の印象を与えるが、その細身の中に絶大な火力と、野獣じみた獰猛性を静かに見せる重圧(プレッシャー)が、おれに語りかけてくる。いや、似過ぎていて、近すぎるために語る云々ではない。

 よく――――解る。自分自身だから解る。これは確かに、手におえないだとか命を落すことなどは無い。ただ、おれと浸透するだけだ。

 水と氷が溶け合うように、おれと俺は溶け合うことだろう。

無色のままで。だからこそ危険だ。水と氷の境目が、この鎖と牢獄の封印。それが無ければ、おれは受け入れてしまう。これと一体化し、おれであり、(あくま)となるだろう。

オフクロは、おれ(人間)のままで過ごして欲しかったのだろうか?

もし、そうなら・・・・・・おれはオフクロに軽く見られたものだ。確かに不出来な兄で美殊がいなきゃ靴下すら探せないし、飯も炊けない情けない兄貴だ。でも、美殊の盾くらいには成れると、守るという思いだけは今まで一度足りとも、忘れていない。

どんな力だって平伏してやる。

 畏怖して動かなかった足を強引に一歩踏み出す。それが見えるのか、悪魔像の唇がゆっくりと上へと吊り上ったのは錯覚だろう。何故なら、嘲るよりも胸を貸すような静かな微笑だったからだ。

 

 

 

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